帝国データバンクによると、過去10年に生まれた企業は20万社であり、そのうち倒産した企業は9万社とのこと。
創業100年を超える会社は日本全国の企業のたった2%しかありません。
意外と短い企業の寿命。連鎖倒産に巻き込まれないために、常に取引先の信用情報は知っておきたいものですね。
※弊社サービスに収録されている企業より算出(2020年時点)引用:帝国データバンク
新日本プロレスは来年2022年に創立50年を迎えます。
選手の素晴らしさは当然のこと、やはり幾多の試練を乗り越えてきた企業努力の賜物とも言えるでしょう。
50周年をリアルタイムで見れることに感謝。
この記事では「50周年」というキーワードをもとに、自分なりの雑感を綴ってみたい。
50周年という奇跡
変化
変化を受け入れることほど勇気のいることはない。
理想を言えば「今のまま」でいたい、「今が永遠に続いてくれたら」そんな風に思うこともありますよね。
学校でも、仕事でも、交友関係でも、家族でも、「変化」という言葉は時に恐ろしく感じることがある。
新日本プロレスの50年を歩みを見ていると、まさしく変化の連続です。
大きく上げると、選手の離脱・会社の買収・パンデミック
その都度変化を経験し、その変化を受け入れ存続・成長してきた企業です。
一見華やかに見える世界ですが、その背景には様々な魑魅魍魎もあったはず。
やはり本当の意味での安定とは常に変化を受け入れ対応していくことなのかも知れません。
世代を超越するプロレスという美学
50年という時間は膨大です。
10歳から新日本プロレスを見始めた方がいるとするのならば、その方は今60歳。
当然レスラーの現役生活はもっと短いので、新日本プロレス設立当時のレスラーはほぼ誰もリングの上にいません。
藤波辰爾選手のみです。
現役選手として67歳でもリングにあがる藤波選手。
「プロレスだから可能なんだろ?」
という意見もあるかも知れない。
しかし、「だからこそ素晴らしい」とも言えるのではないか?
例えば天龍選手の引退試合。
高身長、スラっとした体躯、運動能力抜群と全てを兼ね備えた超現代型のレスラー・オカダ選手と対峙しても、天龍選手のプロレスはそこにあった。
天龍選手に容赦のない攻撃を仕掛け、そして天龍選手の攻撃=プロレス人生を受け止めるオカダ選手。
その攻めと受けの美学こそ、プロレスというジャンルの素晴らしさではないでしょうか。
レスラーの体型の変化、飛び技、危険技の多用、複雑化するストーリー。
時代と共に進化しても、やはり攻めと受けの美学が根底にあるからこそ、息の長いジャンルとしてプロレスは存在し続けているのかも知れません。
寧ろそれが失われてしまったら、プロレス本来の「良さ」は無くなってしまうでしょう。
50周年、そして100年へ
今から50年後の自分を想像出来ますか?
出来ませんよね、でも生きていればその時は確実にくる。
僕自身、プロレスをまともに見始めて10年ちょっとです。
そんな短い期間の中で、新日本プロレスの創立50周年をリアルタイムで体感できることは奇跡です。
次の50年、新日本プロレスにどんな困難や変化が、そして成功が待ち受けているのか。
自分自身にとっても、どんな未来が待ち受けているのか。
「あの時は毎日プロレスのブログ書いてたなぁ」
いや、50年後もまだブログを書いているのかも知れませんw
新日本プロレスの創立50周年、ファンそれぞれの想いが見れる場なども、新日本プロレスに企画して欲しいですね。
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