プロレスを観戦すること、そしてそれを楽しむこととはどういうことか?シンプルな問いのようで、なかなかに難しい。この「シンプルなゆえの難しさ」のようなものが、プロレスが世間一般に広がりにくい原因の一つであるのではないか?
2019年からこのブログを開始し、記事数は600にもなりました。途中、諸事情でブログから離れたものの、最近また戻ってきました。多分、普通のファンよりもある意味異質なファンであろう僕が考える「プロレスを楽しむ」ということについて、書いてみたいと思う。
プロレスの中にある「運命」たち
選手にも、そしてファンにもある「運命」
「運命」という言葉を出すと、どうしても浮かび上がるのが内藤選手。しかしながら、少年時代の夢、入団時の希望、大きな挫折、そしてヒーローではなくヒール(あえてヒールと書きます)として掴んだ栄光は、やはり感慨深いものがある。それは内藤選手だけではなく、我々ファンの人生だって同じこと。良いこともあれば悪いこともある。大事なのは歩みを止めずに進むこと。そうすることで、またあらたな「運命」とめぐり逢える。
流暢に書いていますが、プロレス初見の人にこの感慨を説明しようとしても、難しい。構造的に理解してもらっても、そこに実感が伴わないと興味が続かない。逆に、リング上での出来事と自分の人生がどこかでリンクした瞬間がある人は、一気にのめりこむかも知れません。プロレスを広めるということは、なかなかに難しい。
プロレスの「考察」って何?
プロレスを考えるって何?誰が勝つとか負けるとか、あの技出すだろうとか、受け身うめーとか、これらも考察です。選手の背景をわきに添え、大河ドラマのようにあれこれ語る、これも考察。僕はどちらかというと後者の方が好き。僕たちファンには理解できない人間の素の感情のようなものが、そこにはあるような気がするからです。
僕の好きなシングルマッチの一つに、オカダVSヨシハシがあります。特にシングルプレーヤーとして頭角を現し始めたくらいのヨシハシ選手がオカダ選手に向き合う姿にゾクゾクしてしまう。東京ドームでオカダ選手の凱旋試合の相手だったヨシハシ選手。残酷なほどオカダ選手とは差が開き、内心、忸怩(じくじ)たる想いでいっぱいのプロレス人生を歩んでいたはず。ケニーにも笑われるし。しかし、いざオカダ選手が対角線になった時のヨシハシ選手のオーラは全然違う。オカダ選手もその気持ちを汲んで、さらに上から目線で攻め立てる。この記事を書いてる今もワールドで試合見直そうかなと思うくらい感情移入できる試合ですwこれも、オカダ選手とヨシハシ選手の運命。そして、僕自身にも何かしら通ずる部分があり、より感情移入できるのかも知れない。僕はオカダ選手側ではなくヨシハシ選手側に近いかなぁ。
それぞれの「運命」を見つけよう
イケメン、良い身体、トークがうまい、すごい身体能力、趣味が良い、ファッションセンスが良い・・・。これらもプロレスを楽しむ立派な理由です。しかし、これらの理由にプラスアルファで選手の背景などを添えてプロレスを見ると、そこに奥行きが生まれると思います
或いは自分自身の人生の岐路などを思い、そこにプロレスを当てはめてみても良いかも知れない。そうすると、「あなたにしか体験できないプロレス」が、そこに浮き出てくるのかも知れません。
プロレスを広めるということは難しい。何も熱狂的なファンがすべてではなく、ライト層だって大事。例えば、大手芸能プロでなかなか売れないイケメンをリングに引っ張ってくれば特定のファンは一気に増やせるかも知れない。しかし、プロレスの本質的な部分を知ることで、よりファンがファンを呼ぶような流れになっていくと思う。
このブログも、プロレスを楽しむという意味を「探求するもの」として、最下層の、最底辺でも良いから、役に立てれば幸いだと思います。
あと、内藤選手、18周年おめでとうございます。
≪END≫
ブログランキングに登録しています。ポチってしてくれると嬉しいです。