プロレス時評

新日本プロレスとAEWの話題を中心にしたプロレスブログ

ウィル・オスプレイとIWGP世界ヘビー級王座

ウィル・オスプレイとIWGP世界ヘビー級王座

「プロレスは長く見続けるほど面白い」

こういった見方は間違いではないと思います。

寧ろ、長く見続けるからこそ、プロレスの醍醐味が味わえると言っても過言ではありません。

今目の前で起きていることが、結果的に真逆の方向に進む場合もある。

現在新日本プロレスは新設が決まっているIWGP世界ヘビー級王座に関し揺れ動いています。

それはファンのみならず、選手間でも動きも見えてきました。

なんとなくどんよりした雰囲気の漂う昨今のこの状況に、嫌気が差してしまっているファンの方もいるかも知れません。

しかし、この状況が永遠に続くわけではありません。

今現在起きていること、それは新たなシークエンスの一部でしかない可能性があるのです。

 

ウィル・オスプレイとIWGP世界ヘビー級王座

第三者を上手く活用した内藤哲也とオカダ・カズチカ

かつて体制側のスターとして内藤選手の避難を浴びていたオカダ選手。

人気と実力は勿論のこと、木谷オーナーからのバックアップを内藤選手が察知し、「体制側のオカダ、反体制の内藤」という構図を作り上げました。

歯に衣着せぬ発言で煽りまくる内藤選手への支持は上昇しましたが、しかしながらオカダ選手も結果を残すことで対抗していった。

この二人の闘争の素晴らしい点は、やはり「木谷オーナー」という存在をうまく活かした点にあると思う。

内藤選手がオーナーに一方的に絡むことで「こいつが悪い」というベクトルをファンに示し、オカダ選手を間接的に守ることにもなった。

今回のベルト統一問題はその部分が欠けていると思います。

棚橋選手もポッドキャストで言ったとおり、ベルト統一が「会社の意向」ならばファンと選手の間に入る存在がいても良いのではなかったか。

そういった存在がいれば、飯伏選手に一方的に批判が行くことはなかったのではないでしょうか。

 

反体制となったオカダ・カズチカ

前述したように、「体制側のオカダ、反体制の内藤」という過去から想像できなかった事態が起きています。

それはオカダ選手が反体制のようなポジションになったこと。

  • イービル戦がなかなか決まらない
  • 会社が意向を聞いてくれなかった時に「内藤さん」と名前を出したこと

このような発言をしている時から怪しさはありましたが、現在は明らかに「体制側の飯伏、反体制のオカダ」という図式が成り立ってしまった気がします。

僕は新設ベルトの良い悪いを言いたいのではありません。

今現在の飯伏選手やオカダ選手のように、ちょっと前までは考えられなかったようなことが起きるのがプロレスであり、これからもそういったことが起き続ける、ということです。

  • 二冠は内藤選手のためにあると思っていたら、いつのまにやら主役は飯伏選手へ。
  • 飯伏選手はスーパーベビーフェイスとして新日本で活躍するのだろうと思っていたら、統一発言で一気にヒールのような立ち位置になってしまった。
  • 王者として記録を残し、名実ともに新日本プロレスの看板レスラーとなったオカダ選手が、団体のベルトの在り方に違和感を示している。

プロレスとはこういったことの連続です。

歓喜の胴上げの中心にいる人が、突然地面に叩きつけられるような世界。

だからこそ面白いのではないでしょうか。

統一論争に関しては、内藤選手が脱落し、飯伏選手とオカダ選手そして棚橋選手がメインストーリーの舞台に上がってきたように見えます。

しかし、本当の主役が彼らなのかは疑問です。

 

ウィル・オスプレイとIWGP世界ヘビー級王座

ベルト新設への批判に関し、歴史あるIWGPが失われてしまうような寂しい気持ちになってしまう心情はわかります。

しかしながら、新たな歴史の始まりを目撃するチャンスとも言えるでしょう。

飯伏選手とオカダ選手、そして棚橋選手のイデオロギー闘争は始まるのか?

もしかするとこういったドロドロした展開にうんざりしてしまうファンの方もいるかも知れません。

しかし、飯伏選手、オカダ選手、棚橋選手の先にシークエンスがあるのではないか?

IC王座の象徴と言われる中邑選手は四代目のチャンピオンです。

MVP、田中将斗、後藤洋央紀の次であり、「10円玉」と揶揄されたベルトも中邑選手が一新しました。

そしてIWGP世界ヘビー級王座。

今すぐではないとしても、「世界」と名のついた新たなるIWGPを「世界」へはばたかせるのは、現状何もベルトに関与していないオスプレイ選手なのかも知れません。

彼が自らを新日本プロレスの未来と連呼するのはきっと…。

この記事で考察してきたアレコレは当ブログの単なる妄想です。

しかし、目の前の喜怒哀楽に隠れ、別のシークエンスがあるのもプロレスの魅力です。

一方的に栄光を独占し自由奔放にやっている「ように見える」飯伏選手も、別の誰かの栄光のシークエンスの一部であるのかも知れません。

ベルト統一に関し議論が生まれるのは素晴らしいことです。

しかし飯伏選手個人を過度に批判することは、トーンダウンしていくべきかなとも思います。

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