サイコロジーって何?
プロレス界でよく使われる「サイコロジー」とは何か?
当ブログでもたびたび使う「サイコロジー」という言葉。
英語にすればpsychology=心理学と訳すことの出来る言葉です。
例をあげるのならば
「相手の痛いところを責める」
「悪役は悪役に徹する」
など、こういった基本的な部分をきっちりリング上で表現しながらプロレスを作り上げていくことです。
そういった導入があることによって観客はどんどんプロレスに引き込まれていく。
と書いても「ちょっと何言ってるのかわかんない」という方もいますよね?
僕も「サイコロジー」という言葉に馴染がなければ、同じ気持ちなっていると思います。
この記事では、多くの感動を呼んだ「1.5東京ドーム・オカダvs内藤」を例に、サイコロジーとは何かを考えてみましょう。
2020年1月5日 東京ドーム 第8試合 IWGPヘビー級・IWGPインターコンチネンタル ダブル選手権試合 オカダ・カズチカ VS 内藤哲也
頂点にいるオカダ、追いつけない内藤哲也
プロレスファンにとってこの二人の関係はどう見えるのか?
端的に言えば、頂点に君臨する後輩のオカダ・カズチカと、そのオカダ選手に追いつけない内藤哲也、というイメージが強いと思います。
ロスインゴ前でも、ロスインゴ後でも、大きな壁となり圧倒的な強さを誇るオカダ選手。
一度はそのオカダ選手を倒しIWGPを手にしたものの、そのオカダ選手にベルトをすぐ剥がされた内藤選手。
戴冠が期待された2018年のドームでも、涙を流したファンは多いでしょう。
そして2020年1月5日のメインイベント。
この試合は「二人の関係性がありのままに反映された」素晴らしい試合だったと思います。
特にそれを決定づけたのが、あのシーンです。
オカダに唾を吐き、倒れこむ内藤
新日本プロレスワールドでいうと42分18秒のシーン。
劣勢の内藤選手を上から目線で見降ろし、髪を掴み起き上がらせたオカダ選手に「ペッ!」と唾を吐き崩れ落ちた内藤選手。
このシーンは、これまでの二人の関係性を如実に現している。
過去の自分を振り切りここまで来たが、オカダにはかなわない。
でもオカダには負けたくない。
負けたくないけど、俺は唾を吐きかけることしかできない。
ロスインゴ後の内藤選手にとって、「唾」は彼を象徴する行動の一つです。
優等生的なレスラーから、ファンにブーイングされても構わないというスタイルへの移行、それを象徴するのが「唾」です。
その象徴である「唾」すら、オカダ選手の前では散り際の花火のようなものでしかない。
これほどまでに絶望的な唾を吐くシーンは、あとにも先にこれだけではないでしょうか。
強いオカダとすごい内藤を見せ、新日本プロレスの「今」を知らしめた試合
内藤選手を相手にも、終始上から目線のオカダ選手。
身長の差を抜きにした実際の目線でいっても、上オカダ下内藤のような構図が多かった。
それはリング上での強さの差、果ては「今現在の新日本プロレスでの強さの差」を現しています。
くわえて、容赦ない膝攻めに出るオカダ選手。
これでもかこれでもかと内藤選手を追い込む姿は、王者として俺が新日本をひっぱるというあくなき姿勢と「内藤さん、俺はあなたには負けない」という感情がもろに伝わってきます。
このまったく隙がなく「オカダには誰もかなわない」という絶望感があるからこそ、オカダ選手のファンは彼を誇らしく思うし、内藤選手のファンは余計に内藤選手を応援したくなる。
「オカダは負けない」
「内藤さんならきっと」
という感情が会場を支配し、どんどんボルテージがあがっていきましたよね。
自分より先に夢を叶えた後輩のオカダに「栄光」と「恍惚」と「勇気」と「運命」を叩き込んだ内藤
途中、エルボー合戦では笑顔を見せあう場面もあったこの二人。
ヤングライオン時代に帰ったかのような雰囲気を漂わせましたが、そういった感動的な要素が一部分で終わったのも、この試合の素晴らしさです。
感傷的なものに流されず、今の二人を見せることがこの試合では大事だった。
王者が圧倒し、これまでのオカダと内藤の差はこれからも続くという絶望感が支配する中、終盤に「栄光=グロリア」と「恍惚=スターダストプレス※1※」「勇気=バレンティア」と「運命=ディスティーノ」をまさに「運命の人」オカダ・カズチカに叩き込んだ内藤選手。
まさに内藤選手が歩んできたプロレス人生全てをオカダ選手にぶつけるというすさまじい結末でした。
2年前に決めれなかったスターダストプレスを、2年越しに炸裂させる。
内藤選手はライガー選手へ送ったような言い方をしていましたが、「オカダ選手でなければ出したくない技」だったことは間違いない。
そういった内藤選手の気持ち、そこまで内藤選手を魅了するオカダ選手の素晴らしさ、この二人にしか出せない「絆」のようなものを感じた試合でした。
※スターダストを「恍惚」としたのは翻訳者気取りでかっこつけたかっただけですw※
1.5東京ドーム・オカダvs内藤が最高の試合になった理由
プロレスとは、鍛え上げられた肉体、宙を舞う身体能力、抜群のルックスがあったとしても、素晴らしい試合が出来るわけではありません。
それらは大事な要素ですが、もっと大事なのは「感情」です。
アンダーカード時代を除き、今回の1.5のメインイベントがオカダvs内藤の最高傑作だと思う。
それまでの試合は二人が巧い分だけ試合がきれいに見え過ぎて、そこまで感情が入らなかった。
表現は良くないですが、格闘ゲームのような感じ。
しかし1.5のメインイベントは、「圧倒的に強いオカダとそれにしがみついてきた内藤」という「ありのままの二人」が表現され、素晴らしい映画でも見ているような、そんな感覚になったものです。
もしこの試合で内藤選手が終始オカダ選手を圧倒したり、二人のヤングライオン時代を思わせる感傷的なムードに支配されたりしたら、ここまでの感動は生み出したでしょうか?
これが、サイコロジーです。
サイコロジーって何?
プロレスを見ていて「好試合だけど何かが足りない?」と思った経験はありませんか?
そんな試合に足りないのは、選手同士のサイコロジーなのかも知れません。
相手が怪我しているところを攻撃しなかったり、出来もしない技を連発したり、ヒールなのにヒールっぽい攻撃をしなかったり。
柴田選手が『NJPW STRONG』で「蹴りができないくせに蹴るな」と苦言をいうのは、「蹴り」という技によって伝わる「痛み」が誰にも伝わらなくなってしまい、プロレスを台無しにするからです。
或いは、触れるべき過去に触れなかったり、妙な上下関係が見えたり、言いたいことを言わなかったりすることも、サイコロジーの欠如を招きます。
タイチの選手が裕二郎選手に向かい「内藤」というワードを出すだけで一気に試合の雰囲気が変わったのも、触れるべき過去に触れた賜物です。
サイコロジーとはプロレスの見方の一つであり、絶対ではありません。
しかしながら、単なる勝ち負けではなく、プロレスの深さを知るための「装置」のようなものであることは間違いないと思います。
余談「マネークリップの意味」
現在必殺技のレインメーカーを封印中のオカダ選手。
マネークリップで相手を締めあげる日が続いていますが、もっとも興味深いのは「誰にレインメーカーを解禁するのか?」です。
あえて言わせてもらえば、それは内藤選手じゃない方が良い。
より正確に言うと、内藤選手に二年間もスターダストプレスを封印させるくらい魅力的なオカダ選手のような存在が、今のオカダ選手には必要なんじゃないのかなと。
それが内藤選手になってしまえば、一瞬の盛り上がりはあれどそこで物語は終わってしまう。
「こいつにならレインメーカーを出しても良い、こいつでなければ嫌だ」
こんな風にオカダ選手を振り向かせる存在が必用なのかも知れません。
その存在がSANADA選手になるのか、オスプレイ選手になるのか、或いは未だ見ぬ来たるべきスターへのものなのか。
リング上だけではなく、オカダ選手が誰にどんな発言をしていくのかにも注目せざるを得ない。
この時点でファンはオカダ選手の仕掛ける心理戦=サイコロジーにどっぷり浸かることになる。
レインメーカーを解禁する相手、一体誰がその解となるのか楽しみで仕方ありません。
≪END≫
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