プロレスの見方は人それぞれ。
なのこれから書くことが全てのファンに当てはまるとも思っていません。
いちプロレスファンの個人的な気づきです。
この記事では、改めて制御不能ってなんだろうということについて考えてみたい。
より具体的に言えば、制御不能を期待し過ぎて、自分自身の考え方が制御されてしまっていた、という内容です。
制御不能という言葉に制御されていたことに気づいた件
理想と現実
このブログを書いていて気付くこと、それは「勧善懲悪」というものが基軸になっているということ。
ヒーローはヒーロー。
悪は悪。
このコントラストがプロレスなのでは?と。
しかし、これら中間を行く「ダークヒーロー」の存在もまた大きな魅力です。
ご意見番のように会社や選手にもれなくツッコミ、ファンの気持ちを爽快にさせる。
それはテレビの世界で毒舌タレントが支持を得ているように、社会の空気が望むものなのかも知れません。
ただ、人間は自分の中の理想を作り上げてしまうものでもあります。
それは僕自身もそうで、徐々にベビー化していく内藤選手に対し、「ギラギラしてたあの頃の方がよかった」と思うことが増えていました。
神宮大会の時も思ってました。
そろそろギラギラして下さいよ内藤さんって。
でも、制御不能って…なんなんですかね?
誰に何を思われたって構わない
誰も求めてないかもしれない。誰もそんなこと望んでないかもしれない。そんなこと関係ないよ。俺がやりたいだけだから。俺が見せびらかせたいだけだから。『ほら、宣言通り偉業達成したぜ』って姿を見せたいだけだからさ。誰に何を思われたって構わないよ。俺がしたいことをする。それだけ。
新日本プロレス公式
神宮球場でのタイトルマッチ後の言葉。
思えば、ロスインゴ初期も
「誰も求めてないかもしれない。誰もそんなこと望んでないかもしれない」
状態だった内藤選手。
Tシャツにキャップ、けだるい表情、試合に参加する意思なし…
こんなプロレスラー誰も求めてなかっただろうし、現実そういう空気だった。
でも
「俺がやりたいだけだから」
を貫き、多くの支持を得ることになりました。
制御不能に対する理想像を勝手に抱き、「最近の内藤なんか違う」とモヤモヤとしていましたが、本人の中では何もぶれていなかったように思う。
制御不能な毒舌、制御不能な会社批判、制御不能なプロレス愛
時にヒール、時にベビー、もうなんでもあり。
ありのままに好き勝手なことをする、それが内藤選手であり、ロスインゴというユニットなのかなと。
あくまでも、個人的な「気づき」です。
バック・トゥ・ザ・フューチャー
スマホサイトの内藤選手の最新の日記を読む。
有料サイトなので詳しい詳細は避けますが、いつにもまして「少年」のような内藤選手の記事だったように感じました。
このブログでも内藤選手の物語性をいくつか書いてきました。
キャリアを積み重ねてもつねに過去と現在を行き来する彼の在り方に引き込まれるファン。
本人も『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が好きというだけあり、過去と現在というものに何かしら感じているのかも知れません。
スマホサイトでは「あるもの」を購入したらしい内藤選手。
その「あるもの」でどんな「景色」をファンに見せてくれるのか、それも楽しみですね。
また別の記事に書きたいのですが、今回のG1では棚橋選手との公式戦が控えています。
かつて内藤「青年」が憧れていた棚橋弘至を、今二冠王者となって対峙する。
この二人にしか出来ない「新日本プロレス」を堪能したいですね。
≪END≫
≫≫【ブログランキングに参加しています】クリックにて応援して頂けると嬉しいです!国内外のプロレス最新情報も読めます!