プロレス時評

新日本プロレスとAEWの話題を中心にしたプロレスブログ

新日本プロレスは「世界」ではないのか

約一年ぶりにブログを書きます。そのきっかけは新日本プロレスにおける「世界」というものの曖昧さが目についたから。端的に言えば、新日本プロレスは世界的なプロレス団体ではなかったのか?という疑問です。

 

新日本プロレスは「世界」ではないのか

オカダ・カズチカと「世界」

看板選手として長らく新日本プロレスをけん引してきたオカダ選手が、アメリカを舞台とするAEWへと旅立ちました。ここでも言われる「世界へ」「世界的な」というフレーズ。オカダ選手は世界的な選手ではなかったのか?IWGP「世界」ヘビー級のチャンプだったはずなのに。
僕の物言いは確かにねじ曲がっている。興行の規模、売り上げ、確かに新日本プロレスはAEWには及ばない。そういった尺度で考えるのならば、新日本プロレスの売り上げは「世界的」ではないだろう。しかしながら、プロレスの質で言えば、「世界レベル」の団体ではないのだろうか。
「僕はもう既に世界的なスターですけれど、もう少し箔をつけたいのでアメリカに行ってきます」
オカダ選手からこんな別れの言葉が聞きたかったのが、素直な感想。

 

ベルトと「世界」

数年前のベルト統一問題の時も、IWGPのI=Internationalの「意味」が論争になりました。元々国際的な視野をもったベルトに、新たに「世界」と付け足すのは何事かと。
あれから時を経て思うことは、それだけ新日本が世界推しをしているのにも関わらず、いまだに選手や会社の認識は「世界規模」な視点にたっていないことだと思う。いや、一部の選手は新日本=世界最高と自覚しているような発言をしているけれど、先のオカダ選手の退団の件も含め、まだ新日本=世界ではないという認識があるような気がしてならない。
いくら海外で興行をしても、ベルトに世界と名付けても、大事なことは「意識」ではないか。

 

新日本プロレスはブランディングの一環に成り下がるのか

WWEで活躍できなかった選手が新日本に来て、そしてAEWに行き、またWWEに戻る。今ヒロム選手と戦いが始まろうとしているアリ選手も、そうなる気がしてならない。
レッスルマニアで確実にメガスターになることが確約されているコーディの存在をうらやましく思う元WWE勢は多いはずだし、「自分もいつか」と夢見ているかも知れない。新日本プロレスにはそういった選手たちのブランディングの一環になって欲しくはない。
僕は思います。上村選手やゲイブ選手がベルトを持ったら、どんな発言をするのだろうかと。きっと、彼らは新日本プロレスを当たり前のように「世界的な団体」と信じ、頼もしい発言することだろう、と。
僕が言いたいことはシンプルです。「新日本プロレスは世界的な団体である」ただそれだけ。

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