オカダ・カズチカが言う内藤哲也の「脆さ」とは?
新日本プロレススマホサイトにて掲載されたオカダ・カズチカへのインタビュー。
そのインタビュー中に
「内藤さんは脆い……」(引用:新日本プロレス スマホサイト)
という発言がありました。すぐさま
「脆いじゃないな、危くない感じがお客さんを惹きつけたんじゃないかなって」(引用:新日本プロレス スマホサイト)
と言い換えていましたが、僕的には「危ない」よりも「脆い」という表現の方が適切だと感じました。
或いは「儚い(はかない)」という言葉も合っているような。
このオカダ・カズチカの言った内藤哲也の脆さについて考えてみましょう。
懸念される技の精度
内藤哲也の「脆さ」、僕は技の精度と関係があるのではと考えています。
もともとヘビー級のレスラーとしてはアクロバティックな技が多い彼ですが、ここ最近ではその精度が落ちていることも目につきますよね。
例えば、ロープを蹴りその反動を利用したスイング式DDT。その体制になると「うまく足がロープにかかるのか?」と瞬発的に考えてしまうファンも多いはず。
或いは相手をコーナーに振ってからの、ロープを飛び越えてからのドロップキック。相手を踏み台にしてうまくロープを超えられるか否かで冷や冷やしてしまう。
他にも、MSG(マディソンスクエアガーデン)で見せたパイルドライバーの尻もち、G1のケニー・オメガ戦のテーブルへのパイルドライバーの不安定な落ち方。
簡単にいうと「膝に力が入らないのでは?」というのが僕の憶測であり、内藤哲也の「脆さ」の根幹を成す部分です。
最近では眼の問題もあり、より精度が落ちつつある状態でしょう。
コンディションに大きな不安を抱えているのがファンに透けてみえる中、それでも彼が魅力を放ち続ける理由は何か?
圧倒的な身体能力を超えたプロレスIQの高さ
身体能力頼みからの脱却
語弊なく言えば、内藤哲也は膝のコンディションが悪くとも、現在でもその身体能力は並みのレスラーを遥かに上回っているでしょう。
受け身の取り方、空中でのボディバランス、ちょっとしたロープワークの走る時の滑らかさ。
例えば観客席から乱入したクリス・ジェリコが柵を超える時に「ヒョイ」っと滑らかなジャンプをして柵を超えた時のような、「あ、この人運動神経良いんだろうな」と一瞬で分かる身体能力の高さです(分かりにくい例えですいません)。
内藤哲也は今現在でもアクロバティックな技が多いので、それに比例してミスも多くなるだけであり、そういった難易度の高い技を除けばさほどミスは目立たないはず。
しかし、彼の魅力を際だたせているのは、そいった身体能力を上回ったプロレスIQの高さでしょう。
ロスインゴベルナブレス=制御不能になった彼は、正統派のヒーローを目指していた頃よりも”プロレス”の表現の幅が広がりましたよね。
彼にとって棚橋弘至の後継者からの「決別」という大きな代償はありましたが、そこから得られた表現力は一気にファンを引き付けました。
かつてケニー・オメガは、派手さ頼みでつまらないレスラーを「ただ高く飛びまくるハイフライヤー」という言葉で表現していました。加えて「魂のない才能」とも。マイケル・ベイの映画とも。
ようするに、身体能力があっていくらすごい動きが出来ても”魂”がなければプロレスは伝わらない、ということです。
今まで書いてきたことを簡潔にまとめると、内藤哲也は身体能力の中に魂が加わったことによって、多くの人に彼の”プロレス”が伝わり、大きな支持を得たのでしょう。
脆さと儚さの先に。
オカダ・カズチカはスマホサイトのインタビュー中で、内藤哲也はプロレスラーとして
「完成された」
とも言っています。
完成されてるのに脆いって…どういうこと?
と一見相反する言葉のように見えますが、僕はそうは思いません。
完成とは、目の上のたんこぶだったオカダを超えた=オカダ頼みの内藤哲也ではなくなったということ。
脆さとは、制御不能のカリスマとしての傲慢さの影にあるコンディションの不安という脆さや儚さが、言わば「光と影が混然一体となった姿」が一層ファンを惹きつけているということ。
傷だらけでもカムバックする
どんなに強烈な技を食らっても、諦めない。
プロレスの魅力とはこういった原始的な部分にもあり、ファンはそこにプロレスラーの「強さ」を見出します。
内藤哲也は身体に不安を抱えつつも、惜しみなくプロレスに自らを捧げるレスラーの一人です。プロレスファンとしてその「脆さ」を超えた「強さ」を見れることは素晴らしい体験ですが、だからこそ彼の言う「今の内藤哲也」を見逃さないようにしなくてはいけないのかも知れません。
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