新日本プロレスが11大会を開催中止
2月26日に新日本プロレスより
【お詫びとお知らせ】3月1日(日)~3月15日(日)までの11大会を開催中止とさせて頂きます
という発表がありました。
新型コロナウィルス感染拡大への対策として苦渋の決断は周知のこと。選手やファン、スタッフなど興行に関わる全ての方の健康を第一に置き、今後の素晴らしい興行への充電期間として前向きに受け止めたいものです。
でも…
感染拡大への対策と受け入れながらも、「あぁ…」と落ち込んでいる方も多いことでしょう。
そんな方々の気を少しでも和らげるために、普段プロレスブログを書いている僕が出来ることと言えば、ブログを書くことに他なりません。
他のブロガーさんがコロナウィルスに関して色々書かれていると思うので、僕はちょっと趣をかえて書くことにします。「くだんね」と思われることは承知で…。
もし内藤哲也の“トランキーロ”が流行語大賞になったら
トランキーロ(Tranquilo)
あせんなよ、という解釈もアリですが、落ち着いて、という解釈の方がしっくりくるスペイン語です。内藤選手のグッズに英語表記でcalm down=落ち着く、とあるように、「あせんなよ」というのは使う側の解釈が若干プラスされた表現でしょう。
大合唱に困る教室
もしトランキーロが流行語大賞になったら、言葉に影響されやすい小学生などに影響が出るかも知れません。
先生「A君?宿題は今日までですよ?」
児童A 先生を舐めたような目つきで見、教室をウロウロし始める。
先生「なんですかその態度。っていうか宿題は?」
児童A 教室の後ろのちょっと空いたスペースにゴロゴロ寝転がりはじめる。
先生「ねぇ?皆はこういう態度ってどう思う?」と突然他の児童を巻き込みそれっぽい倫理観をかざす先生。A以外の児童はピクリともしない。すると突然立ち上がったAが
児童A「先生、ウケ狙いの宿題の催促、ありがとうございます。ただ、先生は宿題をしろと言ったかも知れないけれど、僕はそれをするなんて一言も言ってないからね?」
先生「…」
児童A「どうせこの教室は僕の言うことなんて何も聞いてくれないんでしょ?」
先生「…で、宿題は?」
児童A「まぁそう催促しないでくださいよ、先生。その答えは、勿論!」のあと、トランキーロ焦んなよの大合唱に包まれる教室。
先生、大変ですね…
大合唱に困るオフィス
もしトランキーロが流行語大賞になったら、日常の激務で疲弊し、先行きの見えない人生を過ごす会社員などにも影響が出るかも知れません。
上司「A君?企画書は今日までだったよね?」
部下A 上司を舐めたような目つきで見、オフィスをウロウロし始める。
上司「なにその態度。冗談でしょ?っていうか企画書は?」
部下A オフィスのちょっと空いたスペースにゴロゴロ寝転がりはじめる。
上司「ねぇ?皆はこういう態度ってどう思う?自由な社風ってこういうことじゃないよね?」と突然他の部下を巻き込みそれっぽい倫理観をかざす上司。A以外の部下はピクリともしない。すると突然立ち上がったAが
部下A「部長、ウケ狙いの企画書の催促、ありがとうございます。ただ、部長は企画書を作れと言ったかも知れないけれど、僕はそれを作るなんて一言も言ってませんからね?」
上司「…」
部下A「どうせこの部署は僕の言うことなんて何も聞いてくれないんですよね?」
上司「…で、企画書は?」
部下A「まぁそう催促しないでくださいよ、部長。その答えは、勿論!」のあと、トランキーロ焦んなよの大合唱に包まれるオフィス。
上司の方、大変ですね…
トランキーロは社会の総意?
もし“トランキーロ”が流行語大賞になったら、の例を二つあげました。
どちらも都合の悪いことを回避するための手段なのであまり良くない印象ですが、あくまでも例えです。語弊のないように。
焦るな、落ち着け、というのは、本来で言えば人の心に平静を呼び戻すための言葉です。
仕事でパンパンのスケジュール、時に辛くなる育児、うまくいかない人間関係、報われない努力…
社会に渦巻くそういった感情から一旦離れるためには、
トランキーロ
という言葉は的を得ている言葉でしょう。
NWOブームとの比較されるロスインゴブームですが、商業的な成功の部分に関してはそういう比較は正しいのかも知れない。
しかし、ファンの内面的な部分でいうと、寧ろ大仁田厚のプロレスに近い感じもします。
プロレスファンのみならず社会的に漂う感情の流れ、そういったものと「焦るな、落ち着け」というキーワードがマッチし、現在の大ブームに繋がっているのでは?
勿論、内藤哲也というカリスマの存在ありき、ではありますが。
もし“トランキーロ”が流行語大賞になったら
前述した小学生や会社員のように、いい意味のウケ狙いで使う人々も現れるでしょう。
本気であんなことが横行したら問題ですからねw
流行語大賞にエントリーされるには旬を過ぎた感のある「トランキーロ」という言葉ですが、「一度立ち止まってものごと考える」良いきっかけになる言葉です。
かつてオカダ・カズチカに対して、或いは自らのプロレス人生に対して焦りまくっていた内藤選手。
その彼が受け入れた「焦るな」という人生の解釈が、結果的に大きな共感を呼ぶことになった。
多くの人が共感する言葉というものは、その人の感情と社会的な感情がうまくかみ合った時に生まれるものなのかも知れません。
【最後に】
僕は今回のコロナウィルスの件に関して、決まり文句のように「みなさん落ち着いて」という気持ちはありません。各々感情はあると思いますし。
しかしながら、一番悔しいのはレスラーなはず。
その悔しさの感情を次の興行へ向けて燃やしている選手のことを考えれば、まずは状況を見守ることも大事なことでしょう。
≪END≫
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