なかなかブログ執筆に時間を取れなくなり、「プロレスブログ」というジャンルから撤退の準備を始めていた僕。
何気なくTwitterを眺めていると、あるブログの素晴らしい記事が目に入りました。
その内容はジェイ・ホワイトと恋人のプライベートに関することです。
偶然発見したジェイ・ホワイトの最愛のパートナー。
— コバ/🅣🅞🅟🅔-🅢🅤🅘🅒🅘🅓🅐プロレスblog (@tope_tokyo) 2021年12月8日
しかし彼女の過去を知ったとき残酷な現実も知ることになりました。
ジェイとパートナーが病魔と闘った192日を想像すると、今でも涙が込み上げてきます。https://t.co/Fqtiq03c3O
素晴らしい内容なので、是非目を通して頂きたい。
と同時に、「ヒールレスラーのこのような情報を明らかにすることは果たしてどうなのか?」という疑問を持つ方もいるでしょう。
僕自身はどうかと言うと、やはりこの記事は素晴らしいと思う。
もうブログは書かないと思っていたけれど、「推し」に関することなので、書きたい。
プロレスラーは超人でもあり「普通の人」でもある
あの涙
2021年の東京ドーム。
飯伏幸太にメインイベントで敗れたジェイ・ホワイトはバックステージで感情を爆発させました。
それどころか今はどん底だ! 自分が捧げてきたもの、犠牲にしたものは何だったんだ? 俺はそんなに価値のない男だったのか? なぜ俺はここにいるんだ?
新日本プロレスに向けられた感情であることは容易に想像出来ますが、しかし今ふり返ると本当にそれだけだったのかは疑問です。
大舞台での敗北が多いジェイ・ホワイトは、プロレスというジャンル的に見ればまさに「献身性の塊」のようなレスラーです。
本人は「星(メディアからの評価)は気にしない」と豪語するように、勝敗を超えた価値を見出している稀有なレスラーの1人でもあるのです。
しかし、あのバックステージでの涙は本当にプロレスというものだけに流した涙なのか?
プロレスとは、どこからが現実でどこからが非現実なのかわからない特殊なジャンルです。
もしあの時のジェイ・ホワイトの感情にプロレス以外の何らかの感情も含まれていたのならば、今考えると複雑な心境になってしまいますね。
プロレスラーは超人でもあり「普通の人」でもある
エンターテイメントのキラキラした光に隠れ、つい見えなくなってしまうものがある。
それは、「エンターテイナーも普通の人間である」、ということです。
プロレスというジャンルは特にそれが曖昧になりやすい。
それゆえ過剰な罵詈雑言、誹謗中傷が時にレスラーを苦しめることがある。
「相手の気持ちになって物を考える」
とはよくある言葉ですが、プロレスラーの気持ちになって物を考えるのではなく、彼らも普通の人間であることを理解した上で、僕たちもプロレスを楽しまなければいけません。
勿論、いちいち選手のプライベートや素の表情などに敏感になっていたら、プロレスは楽しめないでしょう。
大事なことは、プロレスラーも自分たちファンと変わらない「普通の人」であることを心のどこかに留めておくことです。
プロフェッショナルの神髄
エンターテイナーの凄みとは何か。
どんなに辛いことがあっても、それを微塵も見せず、プロとしてやり切ることではないか。
では、今回のジェイ・ホワイトの感動的なストーリーを受け、今まで彼を嫌いだった人も「ジェイはいい奴、ジェイは素敵」と認識を変える人もいるでしょう。
それはそれで良い。
しかし、あの憎たらしいまでのダーティーファイトに変わらずブーイングし続けることも、ファンとしてのあるべき姿なのかも知れません。
ジェイ・ホワイトに限らず、様々なレスラーが様々なことを抱えながらプロレスをし、ファンを楽しませてくれています。
今回のジェイ・ホワイトのストーリーは、プロレスラーという存在にあらためて畏敬の念を抱かせる出来事でした。
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