【不条理と美徳の限界】もしWWEパフォーマンスセンターが日本に設立されたら

 

 

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プロレスラーにとって怒りとは何か、感情とは何か。

私はブログ内でもこういったテーマを取り上げることが多く、プロレスと感情は密接につながっている、ということを書いてきました。

しかしながら、ではその「怒り」自体は何なのか、ということには触れて来なかったと思います。

レスラー個々人の感情を「これだ」と言い当てることは不可能です。だから、様々な要素から「こうであるはず」とブログ内では言っているに過ぎません。

この記事では、一歩踏み込んでその「怒り」あるいは「感情」というものに触れてみたい。

読む方によっては、あまり気に入らない記事になるかも知れませんが、それも承知の上で書いてみます。

(画像出典:フリー素材)

 

 

不条理と美徳の世界

週刊プロレス高橋ヒロムから語られた「いい子、いい子」

当時、道場には専属コーチがいなかったんですよ。来る人、来る人の言うことが違って、受け身の取り方、ロープワークも人によって違う。自分のなかでも葛藤があって、いったい誰の言うこと、なにを信じればいいのかって。それで練習ができなければ”いい子、いい子”されるし。
(引用:週刊プロレス)

私はこの部分を読んだ時に、まず「まだそんなことやってるんだ」と思ったのが素直な感想です。

練習で出来なくて「指導」される。それはごく当たり前のこと。

しかし、来る人、来る人の言うことが違い、なにを信じればいいのかわからない状態で、「指導」されてしまう。

私は、あえて”いい子、いい子”という表現を使うことに、一筋縄では言い切れない高橋ヒロムの感情を感じました。

それは、不条理という感情です。

 

 

プロレスは不条理と美徳の世界、なのか?

少し踏み込んでプロレスというジャンル自体のことを考えるのならば、そこに不条理はあるでしょう。

アマレスの猛者がトップに立てるとも言い切れない。
身体能力が秀でているからといって、活躍出来るとも言い切れない。

だからこそプロレスは面白いのですが、仮にそれを表の部分として、裏の部分はどうなのか。

プロレスというジャンルで生き抜いていく精神形成は、特に若手やヤングライオンには必要です。

肉体的な鍛錬と、これから向き合っていく「プロレス」というものに対しての精神的な鍛練を積み重ねることは大事なこと。

しかし、2020年になってあえて”いい子、いい子”という表現がトップレスラーから出て来る現状に、何か本音が隠されているのかも知れない。

私はこの”いい子、いい子”的な伝統が美徳と見なされて生き続けるのならば、来たるべき黒船に脅かされるのではないか、と懸念してしまうんですよね。

 

 

 

才能は何を選択するのか?

ダルビッシュ有の興味深い言葉から考える

YouTubeダルビッシュ有のチャンネル Yu Darvish にて語られた『高校入学の際、最後に絞った5校と東北高校に入学した理由。』


高校入学の際、最後に絞った5校と東北高校に入学した理由。

簡単に要約すると、強豪高校の厳しい練習システムは素晴らしいが、自分は同じ強豪校でも東北高校のほんわかしたムードが合うと思った、という感じ。

決して東北高校以外の強豪高校を否定するわけでもなく、寧ろリスペクトしつつも、あくまでも自分自身に合うか合わないかの基準でエピソードを語るダルビッシュの印象は、控えめに言っても好印象。

自分の性格を把握した上で、それにフィットする進路を選ぶことは、才能を開花させる上で非常に重要なことです。

上記の件を踏まえ、話をプロレスに戻しましょう。

 

 

LAdojoはパフォーマンスセンターではない

LAdojoが設立された際、柴田勝頼は「LAdojoはパフォーマンスセンターではない」と言い切りました。

言うまでもなく、WWE新日本プロレスのスタイルの違いを見れば、道場とパフォーマンスセンターは根幹から違うので、比べること自体間違いかも知れません。

私自身、WWEパフォーマンスセンターのプロモーションの動画をみるとやや教則モノ的な整った印象を受けました。

しかし、日本で最も影響力のあるプロレス専門誌で、2020年にもなって”いい子、いい子”が語れる新日本プロレスの道場。

もしそれが伝統として、そして美徳として継続していくのならば、ある程度システム化されたパフォーマンスセンターを選ぶ若者や才能が多くなっていくのかも知れません。

 

 

新日本プロレスらしさ、とは

私は新日本プロレスの道場システムを否定しているわけではありません。

心身とも厳しい鍛練を潜り抜けた若獅子は、後に大きな大きな獅子へと成長していきます。

そしてまた、頭を剃り、センパイを敬い、時に不条理に耐えるというシステムもまた、海外のファンからするとミステリアスで魅力的な要素になっているのかも知れません。

棚橋弘至が言った「プロレスは残酷なものであってはならない」という言葉。

私も「残酷なものであってはならない」とも思います。

だからこそ「厳しい練習・人を敬う心・正義作法」「不条理」は別なのではないか、と。

かつて力道山の付き人時代にアントニオ猪木が受けた体罰や虐待。

新日本プロレスに流れる「怒り」という感情は、そういったものへの反骨心なのか。

昔から新日本プロレスを見ているファンの方にとっては、そういった脈々と流れる反骨心をリスペクトされる方もいるでしょう。

そして、「厳しい練習・人を敬う心・正義作法」「不条理」は別という私の考えは、「甘ちゃん」と受けとられるのかも知れません。

プロレスに正解はありません。そして考え方にも正解はありません。週刊プロレスを読んで、私個人が考えたことを書いてみました。

 


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