プロレス時評

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【DESTINIES TETSUYA NAITO】海外メディアの1.5東京ドーム内藤哲也に関する記事を読んで

DESTINIES: THE DIFFERENCES OF LOVE FOR 90S PURORESU & THE MODERN DAY TETSUYA NAITO FAN

【新日本プロレス】海外メディアの1.5東京ドーム内藤哲也に関する記事を読んで

 

海外プロレスメディア『voices of wrestling』にざっと目を通していたら見つけた記事。

そこには内藤選手自身よりも、彼のファンについて記述が目につきました。

もしかすると、1.5のメインイベントは内藤選手のファンが主役だったのかも知れません。

ファンとプロレス

海外プロレスメディア『voices of wrestling』のコラム

「DESTINIES: THE DIFFERENCES OF LOVE FOR 90S PURORESU & THE MODERN DAY TETSUYA NAITO FAN」

にて目についた次のような一言。

This wasn’t Tetsuya Naito’s moment as much as it was the fan base who supported him throughout a years-long journey.
(引用:voices of wrestling)

簡単に訳すと

「あの瞬間は内藤哲也のものではなく、それを長年彼を支えたファンのものだ」

という感じです。

※あの瞬間というのは、1.5にてオカダ・カズチカからスリーカウントを取った瞬間のことです※

この記事自体ちょっとドラマチックで癖がある。

それを差し引いても、僕自身も今回の東京ドームは内藤選手とそのファンの「総決算」のような印象を受けました。

「naito two belts」

という祈りのような言葉(或いはハッシュタグ)が生まれるほど、ファンの願いが強かった東京ドーム。

その内藤選手が勝利した時の歓喜。

「良かった嬉しー!」

というファンもいれば

「ホッとした」

というファンも意外と多かったのではないでしょうか。

 

プロレスの見方

この記事の筆者Dylan Foxさんが内藤ファンなのか否かは定かではありません。

I loved Tetsuya Naito.
I loved his fans.

って記事の最後に書いてるけど…。

それはさておき、僕が言いたいのはそのプロレスの見方です。

単純に勝ち負けを語るのではなく、ファンのリアクションを含め大きくプロレスを観ること。

確かに、内藤選手の体現するそのストーリーは漫画の主人公のように分かりやすく、他の選手に比べ感情移入の要素が強い。

それに賛同するファンもいれば、そうではないファンもいるでしょう。

しかしながら、内藤選手に限らずどんなレスラーもストーリーを持っています。

目先の勝ち負け、暴言や批判、悪態、乱入…そういったことにフォーカスしすぎてしまうと、プロレスはつまらないものになってしまいます。

そんな時こそ少し目線を引いて大きくプロレスを眺めてみることで、勝ち負けや暴言、乱入なども納得できる。

納得というか、それもプロレスの一部だと理解できる。

プロレスというものは、考え方一つで面白くなったりするものです。

間近に迫った内藤哲也とKENTAのタイトルマッチへの二人のプロモーションがまさにそうであるように。

 

まとめ

筆者のDylan Foxさんは全日本の四天王時代やその系譜にあったノアの試合を称賛する一方で、こういったファンの感情を揺り動かす内藤選手の存在(あるいはプロレス)も称賛しています。

ハードな戦いを通して感銘をうけるプロレスもあれば、レスラーのストーリーがファンを巻き込んで大きな感動を生むプロレスもある。

Dylan Foxさんは”Naito super fans”と言っていますが、1.5のメインイベントのあの歓喜はその”Naito super fans”が作り上げたものなのかも知れません。

僕としては、内藤哲也の運命の相手オカダ・カズチカや彼の”Okada super fans”にも称賛を贈りたいですね。

≪END≫

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