プロレスに限らず、人生はハッピーとバッドの繰り返しです。
いや、ハッピーがあるからこそバッドを感じることが出来、バッドがあるからこそハッピーが感じられると言っても過言ではありません。
心情的なハッピーとバッド、身体的なハッピーとバッド。
いずれにせよ、この二つは表裏一体です。
しかし、誰しもハッピーになりたい、ハッピーのままで居たいという心情が根底にあるでしょう。
そういった心情があるからこそ、「プロレスにおけるバッドエンド」もなかなか受け入れられないのかも知れません。
バッドエンドの先にあるもの
プロレスはサーガ
下世話な例えになりますが、例えばアンパンマンの世界にバイキンマンやドキンちゃんがいなかったらどうなるのか?
アンパンマンやショクパンマンやカレーパンマンが仲良く日常を過ごすだけになってしまう。
いや、こんなことも考えられる。
- 争いやトラブルが起きることがないので、アンパンマンたちの自警団的な役割がはく奪される。よってただのアンパンや食パンになる。
- 敵のない状況によって「各々の正義感に違い」が出て来て、揉める。正義の中の善悪が始まる。
要するに、永遠の幸せなんてないんです。
寧ろ正義だったもの同士が揉め始めるという残酷な絵図が待っているかも知れません。
と、考えると、むしろバイキンマンがアンパンマンの世界の秩序を保っていたようにも感じませんか?
大げさに言うと、プロレスもこんな感じなんじゃないの?と思っています。
残酷な絵図
例えば、ジェイ選手と棚橋選手が口論しても、特に心をえぐられるファンはいないかもしれない。
しかし、飯伏選手と棚橋選手が口論したら、「仲良くしてよ」と思うファンはいるでしょう。
正義の味方同士が争うことほど見ていて残酷な絵図はない。
しかし、こういったファンの心理もあるのではないか?それは
「正義同士で揉めたら、どちらかがヒール的な立場になってしまうのではないか?」
と。
これはファンにとって辛いですよね?
応援していた正義のヒーローが、ヒールっぽい立ち位置になってしまうのですから。
先ほどのアンパンマンの例えでいうと、アンパンマンとショクパンマンが揉めて、アンパンマンが闇落ちしてしまうようなもの。
アンパンマンファンにとってそれは地獄絵図ですよね?
だからこそ、ヒール(バイキンマンやドキンちゃん)の存在が大事なんです。
バッドエンドとハッピーエンドの蜜月関係
占いや自己啓発みたいな感じになってきて、自分で記事を書いていてちょっと笑ってます。
気を取り直して書き続けると、人生にも、プロレスにも、ヒールやバッドエンドは欠かせません。
いや、ヒーローやハッピーエンドばかりの世界なんてないですよね?
皆「学校だりぃ」「仕事疲れる」「人間関係辛い」「もっとお金あれば」「もっとスタイル良ければ」「休み欲しぃ」等々、不平不満の中にいることも多いのではないか。
だからこそ休みが嬉しかったり、人間関係が修復出来ると笑顔になるし、収入に価値を感じたりする。
バッドエンドとハッピーエンド、ヒールもヒーローも蜜月関係です。
もし今、「バッドエンドがつまらねぇ!プロレス見たくねぇ!」と思っている新日本プロレスファンの方がいたとしても、慌てないで下さい。
きっとハッピーエンドは来ます。
だから、目の前でバッドエンドが巻き起こっても、そこは冷静に、いやトランキーロと言いたい。
寧ろバッドエンドを楽しめれば、プロレスをもっと楽しく見れるかも知れませんよ?
≪END≫
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