挑戦権利証に対する様々な意見を考える
G1の価値、権利証の価値
G1後になると毎度繰り広げられる権利証論争。
「もう要らないんじゃないの?」
「G1優勝した意味って何?」
などなどネガティブな意見が飛び交っています。
G1に限らず、例えば今年2月のIWGP戦においても
「乱入しただけで挑戦できるのか?」
という意見もありましたよね。
総じて言えることは、「G1の価値」や「IWGPの価値」をファンが大事に思っているということです。
僕は、挑戦権利証自体はあって良いと思うし、それをめぐる攻防があっても良いと思っています。
ただ、最近の新日本プロレスは「つづく」にやや偏りすぎかな、という印象があります。
ストーリーが先立つ世界
「つづく」って何?をかんたんに説明すると、例えば
ヤングライオンの試合⇒「一話完結寄り」
トップ選手⇒「壮大な物語寄り」
という感じです。
ヤングライオンの試合はシンプルにどちらがが勝つかを楽しめ、勝敗によって完結する。
トップ選手の試合は伏線や展開に目が行き、「次どうなるの?」が続いていく。
あくまでも例えなので、全てがこうとは言いません。
今回の権利証云々に関しては、完全にその「つづく」=ストーリーが優先されていますよね。
ケツ(ドーム)が決まっていて、そのためにこれをこうして、あれをああする。
それがファンに見え過ぎてしまっているので、「興覚め」しているファンも多いのかも知れません。
プロレスはエンターテイメントなので、ストーリーがあるのは当たり前であり、それに対しては何の異論もありません。
しかし、ストーリーはあれどそれをファンに感じさせない部分もプロレスの魅力のような気もします。
沈黙状態の飯伏選手がもし「内藤さんの案もジェイ君の案も拒否します」と言ったら…一気に面白くなりそう。
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