プロレスブログを書く私のプロレス観

このブログはプロレスブログです。

その筆者である私がプロレスをどのように考え記事を書いているかをまとめてみましょう。

プロレスはShowと言い切るプロレスブログ

あらかじめ勝敗ありきかと聞かれれば、私はもちろん「はい」と答えます。これは隠しようのない事実であり、寧ろ濁す方がおかしい。プロレスはShowです。

ただ、プロレス=Showという認識に対して「プロレスを馬鹿にするな」とか「真剣なんだ!」っていう意見も見られますよね。私はShowだからふざけているとか、真剣ではないとか、そういった目線でプロレスを観ていません。

たしかに、「試合」と銘打っているので、プロレスにとって勝敗というものは無視できません。ただし、勝った負けたを突き詰めすぎると、プロレスというジャンル自体の面白さが損なわれてしまうような気がします。

「八百長」「やらせ」「台本」「きめごと」

私はこれらのプロレスに根差す後ろめたさのようなものは、レスラーやプロレスというジャンルにとって果たしていいものなのだろうか、と思ってしまいます。

自分たちは最高級のエンタメをしていると、選手が、或いは業界が胸を張って言える時代だと思うんですよね。

そうすれば「八百長」「やらせ」「台本」「きめごと」という言葉たちの持つネガティブな側面も、緩和されるのでは、と。

周知のことですが、もし新日本プロレスが株式上場をするのならば、プロレスは「ストーリーがある」ということをはっきり示さなくてはいけません。

いわばカミングアウトになるわけですが、木谷会長はカミングアウト=「企業秘密」と言いました。

「この令和の時代にガチなんて思ってるファンはいないでしょ」

という建前かもしれませんが、私は未だにガチで見ているファンの方が多いような印象を受けてしまいます。

あまり公にカミングアウトできない何かがあるにせよ、私は勝敗に重きを置かずプロレスを楽しんでいるいちファンであり、このプロレスブログもそういった目線で書いています。

では、私はプロレスのどんなところに魅力を感じているのでしょうか。

ケニー・オメガの金言

下記に貼ってある動画は、『NJPW OnTheRoad : Kenny Omega』の #4です。


NJPW OnTheRoad : Kenny Omega #4

この動画の中でケニー・オメガは、彼なりの皮肉たっぷりな口調で幾人かの選手について語っています。私のプロレスへの興味、面白さ、関心は、動画の中のある言葉に集約されていました。それが「魂のない才能」という言葉でした。

この言葉は、ケニー・オメガが内藤哲也についてどう思うか?というテーマから始まっています。内藤哲也がロスインゴになり、やっと自分を見つけた、だがそれは単なるキャラクターチェンジではなく、彼が苦悩し、情熱を注ぎ、自己を捧げてようやく見つけたものだ、しかし大抵のレスラーはそれを見つけられないままレスラー人生を終えていく…簡単にまとめるとこのような下りでした。

「魂のない才能」

ケニーはこれを「ただ高く飛びまくるハイフライヤー」とも言っています。

要するに、単に運動能力があっても意味がない。その中に魂がないと意味がない、ということです。これは運動能力だけではなく、ルックスやボディ、或いはレスリングテクニックなどプロレスを構成する要素全般に言えることでしょう。

では、その魂とは何なのかというと、私は「過程=プロセス」と理解しています。

プロレスは過程を知ることでより面白くなる

「なぜ、内藤哲也はスターダストプレスを滅多に出さなくなったのか」

上記の問いに対して、プロレスファンなら様々な言葉が湧いて出てくるはず。

「膝が悪いから」
「身体能力が落ちたから」
「黒歴史のフィニッシャーだから」
「スターダストプレスは過去の彼、デスティーノこそ今の彼」
「2020年の1.5のフィニッシャーにするため」

など。

プロレスとは、技、動き、レスラーの発言など一つ一つのことにファンが勝手に意味を見出し始めると面白くなっていくものです。

私がプロレスブログを書く動機も、こうなったら面白い、こういう展開が望ましいなど勝手な妄想をしているからに過ぎません。

様々な選手の過程を知っているからこそ、妄想や感情移入が次から次へと出てきます。

獣神サンダー・ライガーはマスクを被っているのに表情が感じられる、とよく言われます。当たり前ではありますが、これは物理的には不可能なことです。
しかし、ライガーがこれまでのプロレスに捧げてきた様々なもの=情熱が、ファンに勝手に意味=表情を語らせてしまうんですよね。

私にとってそれは勝敗以上に価値のあるものであり、プロレスを観続ける理由と言っても過言ではありません。

一流のレスラーとは

時に私も、一つの試合の勝敗に落胆したり歓喜したりすることがあります。それは勝敗に及ぶまでプロセスを詰め込んだプロレスラーの凄みであり、一流だなと感嘆させられる瞬間です。
逆に表現力が乏しく、観る側に毎試合がデビュー戦のような印象を与えてしまうレスラーは、中々感情移入が出来ず、退屈さを見出してしまいます。

プロレスブログを書く私とプロレス

私は会場に足しげく通ったり、グッズを買い集めたりするようなファンではありません。

サブスクリプションで継続的に課金し、ゴロゴロしながらスマホやタブレットでプロレスを観戦する程度です。

それでも世の中に数多くある娯楽の中において、何か気になってしまうものの一つがプロレスです。

こんな風にプロレスブログを書いたりしますしね。

結論を言えば、プロレスというものを成立させる要素に、ファンの存在が大きいからかも知れません。

それは単に興行収入への貢献ということではなく、ファンの歓声や心ある罵詈雑言、根拠のない妄想や勝手な思い込みなどすべてひっくるめて成り立つのがプロレスではないでしょうか。

そんなところが私にとってのプロレスの魅力です。

最後に

ここまでのご拝読ありがとうございます。最初の勝敗云々の話から、「プロレスをちょっと引いて観てる人」と思った方もいることでしょう。私自身もそう自覚しています。しかし、このようにプロレスブログを書いたり、日々何かしらプロレスの情報に目がいってしまうのは、私自身が間違いなくプロレスというジャンルの掌の上にいるからかも知れませんね。